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子どもたちの階級闘争:ブレイディみかこ [Book]

どうしてこんな怖そうなタイトルの本を借りてしまったのかは、忘れた。
階級闘争なんて、現代ではあまりにも力の差がありすぎて、闘争するより逃走した方がマシなんじゃないかと思ってるんだけど、実際に読んでみると(あ、まだ119ページまでしか読んでないんだけど)、わかりやすく階級差のことを書いている。
これから後半に向けて闘争が始まるのかもしれないが、よくわかんない。
わかんないことだらけで、全然本を読むための参考にはならないんだけど、本の内容はわかりやすいです。
しかもおもしろくて、図書館の学習用の個別スペースで読んでたんだけど、隣のスペースでは高校生が一生懸命にノートにペンを走らせていて、時々肩を震わせながら笑い声を押し殺している自分が邪魔だったろうと思う。
ごめん。
もうね、幼児教育に関わる仕事をしている友人にその場からメールしようかと思ったくらい(実際に送りそうになったんだけど、すでに他の仕事をしていることを思い出したのでやめた)。

図書館で借りた本なのに、もう少しでアンダーラインを引きそうになったのは次の箇所。
9ページ:外国人を差別するのはポリティカル・コレクトネス(PC)に反するが、チャブ(CHAVS)は差別しても自国民なのでレイシズムではない。
13ページ:人種ではなく階級を分離基準として、ユナイテッドなはずのキングダムにはいまでも存在している。
29ページ:一般に虐待や養育放棄などの不幸は閉ざされた空間で起こる。だから、乳児や幼児のいる家庭を孤立させてはいけない。
以降は、読むのがおもしろくてメモを取れなかった。

この本は、僕の住んでいる市の図書館にはなくて、県立図書館から取り寄せてもらった。
順番待ちだったので手元に届くまでにひと月くらいかかったんだけど、こんなおもしろくて予約待ちが出るような本がどうして市の図書館にないんだろう?
読みたい本は大抵県立図書館からの取り寄せなんだよな。
もっとおもしろい本を購入すれば良いのに。

というわけで、ブレイディみかこさんの本はちょと集中して読もうかなと思っているところ。


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その本はどこから? [Book]

あなたが最近読んだ本は、どこで見つけてきたものだろうか?
書店、図書館、古本屋、それともネットオークションだろうか?
いや、電子書籍をダウンロード?
僕が今日から読もうと思っている本(マーシー:トニ・モリソン)は、図書館から借りてきた。
この本以外にも、このひと月の間に何冊かの本を手にしたけれど、その入手先は様々で「国のない男:カート・ヴォネガット」は古本屋で、「アイアン・ハウス:ジョン・ハート」はネットオークションで見つけてきた。
そう言えば、書店では本を買ってない。
電子書籍も買ってないな。

本をどこで入手するかは、その時々の状況によって変わってくる。
今すぐではないけれど、あれば読みたいなと思えば図書館に行くし、なるべく安く少しでも早く手に入れたいと思うときは古本屋に向かう。
安く手に入れたいけれど、それほど急がないときはネットオークションで時間をかけて探す。
発売されたばかりの本や、手元にずっと置いておきたい本は書店で探す。
なにしろ本に限っては、書店のピッカピカの本も古本屋のちょとくたびれた本も図書館のページの隙間にお菓子の屑が挟まっているような本も読んだ感動に違いはない。
まぁ、手にした時のモチベーションの差は大きいけれど、おもしろい本だったら、そんなことはすぐに忘れてしまえる。

本の入手方法のそれぞれにメリット・デメリットがあるので、ちょっとまとめてみよう。

すぐに手に入れたい
電子書籍>書店>図書館>古本屋>ネット
発刊時期と発行部数による。
古い本だと、図書館や古本屋で見つける可能性が高い。

きれいな本を読みたい
電子書籍・書店>古本屋>ネット>図書館
図書館の本は多くの人の手に触れた可能性があり自分のものではないので扱いが荒い。
古本屋の本は人の手に触れた回数も少なく古本屋さんが傷み具合をチェックしているので、思った以上に美品であることが多い。
電子書籍は誰の手にも触れていないのでばい菌はついていないが、コンピューターウイルスに感染している可能性はあるかもしれない。

なるべくお得に読みたい
図書館>古本屋>ネット>電子書籍>書店
ネットで購入する場合は送料がかかるので、古本屋の方が安く手に入る。

大事に持っていたい
電子書籍>書店>古本屋>ネット>図書館(2週間以内に限る)
書店の新品のものに敵うはずもないのだが、問題は本に使われている紙が酸性紙であることが多いために紙自体が劣化するので、本を長期保管するというのは、あまり期待できない。
電子書籍だと痛む可能性はないし、どれだけ持っていても場所を取らないが、ファイル形式によっては将来サポートされない可能性がある。

簡単に入手方法のメリット・デメリットを思いつくままに書いてみたけれど、参考になっただろうか?
本は読み終わった後のことを考えずに手にするけれど、塵も積もれば山となるではないけれど、本も積もれば床が抜けるかもしれない。
そして、ほとんどの本は再読されることはない。
再読するよりも読んだことのない本を読む方がはるかに多い。
だとしたら、どうして僕たちは本を手放すことができないんだろう?
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ドリーミング・オブ・ホーム&マザー:内海文三 [Book]

まとめて手に入れた内海文三氏の本の中から何気なく一冊を手にとってパラパラとめくったら、小学生の子供たちと犬の話が書かれていたので、ちょっとだけのつもりで読んでたら、結局最後まで読んでしまった。
いや、ついつい引き込まれてってわけではなくて、ここでやめても再読はないだろうから、このまま読み進めようと思った次第。
すいません、あまり乗れなかったです。
自分がよくやっちゃうんだけど、同じ作家の本を続けて読んで飽きてしまうという失敗。
聡とゆうのキャラクタも、初めて読めばおもしろいんだけど、すでに海人と椿子(桜子)を知っているので、どうしても、パワーが弱いなぁと思ってしまう。
ついでにいうと小川さんも竹内さんほど魅力は感じなかった。
魅力があったのはイエケだったな。
でも、イエケの容姿を頭の中で想像しながら読んでると、どうも「ベルカ、吠えないのか」が出てきてしまう(全然犬種が違うんだけど)。
だから、イエケ登場のシーンなのにそこで走り迫るのはベルカだったりして、もひとつこの作品に入り込めない。
もうひとつ言い訳させてもらうと、小学生の頃に近所の犬に噛まれたことがあって、それ以来犬が苦手なのだ。
ましてこんな犬が襲うシーンがあったりするともうダメってところも、のめり込めなかったんだと思う。

まぁ、そんなわけで、この作品の感想は全然書けない。
もし感想を書けと言われたら、なんだかジュクジュクしてておもしろくなかったってことになる。
内海氏の作品は他に「ハルビン・カフェ」「ぼくが愛したゴウスト」「そこに薔薇があった」の3冊があって、ちょと時間を空けてまた読むつもり。
今さ、パラパラっと裏表紙を眺めたら、「ぼくが愛したゴウスト」の解説は伊坂幸太郎氏なんだね(エッセイ集でも紹介してたしね)。
この次には「ぼくが愛したゴウスト」を読むことにしよう。
「そこに薔薇があった」は外しそうな予感。

というわけで、この後「都市と都市」と「川は静かに流れ」のどちらを読もうかと思案中。
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愚者と愚者/裸者と裸者:内海文三 [Book]

多分、表紙で損してる。
変わったタイトルだったので、これまでにも何度か手に取ったことがあるんだけど、そのままレジまで持って行かせる気にならなかった。
だって、文庫の表紙があんなだもん(他の作品で大藪春彦賞を受賞した著者の作品だとは思えない)。
それなのに、どうして1,500ページを超える4冊を読むことになったのか?
それは本当にたまたまちょっと前に読んだ「3652:伊坂幸太郎」に内海文三氏のことが書かれていたからで、伊坂氏は「もう少し評価があっても良い作家」と書いていたような気がしたからだ。
もっともそこで取り上げられていたのは「ぼくが愛したゴウスト」だったけれど。
で、気分によっては読んでて楽しい伊坂氏のことだから、きっと楽しいだろうなと何かの時に読むために内海氏の文庫を9冊ほど買ってみた。
あ、たまたまネットを見るとセットで売られてたので、「ぼくが愛したゴウスト」が含まれていることを確認して買っただけね、一つ一つ買い集めたわけではありません。
で、今回インフルエンザ A型に罹患して5日の出勤停止を受けたので、「愚者・裸者」を集中して読んでみた。
ちなみに肝心のインフルエンザは、一発治療のゾフルーザを飲んだら、すぐに治ってしまった(風邪よりも早く治るんじゃないのかな)。
そうはいっても、病み上がりで時々頭がボーとしながらの読書だったので、あまり正しくはこの「裸者・愚者」を読みきれてはいないはず。
物語の背景は関東首都圏で、残念ながら九州在住の自分には土地勘がないために、ゴロゴロ出てくる地名がピンとこない、登場人物は多いし、部隊の名前はたくさんありすぎてわけがわからない。
頭の中で固有名詞がグルングルンしてる状態ではあったけれど、それでも読み進めることができたのは、やはりマイノリティをメインに据えていることで、椿子の女の子の再定義なんて目が眩む。
「自分で女の子だと思えば女の子。それが女の子の定義だ」
はい、その通り。なにも言うことはないです。
目の前の人が女だろうが男だろうが、だからってそれで何かが変わるはずもなくて、目の前の人が女だったらどうで、男だったらこうだなんてのはないってこと。
だからって変わっちゃダメなんだよね。
なんてことを、考えながら読み進めてたら、1500ページが終わってた。
この作品にはもうひとつ「覇者と覇者」があって、それは残念ながら手元にはないので、近いうちにどこかで探してきて、読むつもり。
でもさ、この小説が書かれたのは10年も前なんだよね。
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真ん中の子どもたち:温 又柔 [Book]

お母さんが台湾、お父さんが日本人の主人公が中国に留学した時のお話で、台湾では(※台湾系)中国語が使われていて、主人公の中国語の発音はお母さんの影響で台湾系の発音のために中国語の先生に度々注意を受ける。
文中、もし蒋介石が台湾にやってこなければ私たちは何語を話していたのだろうと自問する箇所があるが、こんなことは「日本人」であるならば、あまり考えたこともないはずだ。
国民党政府が台湾に逃れてきた1949年ごろの台湾の状況は、侯孝賢の映画である程度知っていたけれど、なるほど、その影響は1980年生まれ(?)の主人公にも影響を与えている。
留学先のお話なので、主人公以外にも「真ん中の子どもたち」は多く出てきて、けれど、そこで繰り広げられているの、ごくありきたりな20歳前後の若者の姿だ。

主人公たちを見ていると、まるで縄跳びの縄を飛び越えるように、国や言語を飛び越えていて、その軽さにめまいがする。
それはあまりにも、(純粋の?)「日本人」であることに窮屈さを覚えてしまうほどの軽やかさで、僕はなんて狭い世界で生きているんだろうと思う。
日本語しか使えない僕は、日本語でしか世界を見れず、この島から出ることもままならない。
この島から出て、違う言語で世界を見ることができるとしたら、世界のありようはこの島で知ることだけではないと知ることができるのに。

※侯孝賢の「悲情城市」の中でも、1947年の外省人(戦後、台湾に渡ってきた人たち)と本省人(戦時中から台湾に住んでいた人たち)の間で起きた二・二八事件でも、発音に関するエピソードが出てくる。


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3652:伊坂幸太郎 [Book]

たしかデッカードってのは、10年のことだったと思う。
で、センチュリーは100年ね。
どうしてそんな単位のことを知っているかというと、これまたよくわかんないんだけど、映画、ブレード・ランナーの主人公の名前がデッカードで、この名前には10年に関係するなにかがあったと以前どこかで目にした。
それ以来、10年てのはデッカードなんだなと記憶した。

それで、この伊坂幸太郎の3652を手にした時に、あ、これは10年+2日の数で、+2ってのはうるう年のことだろうと思ったら、どんぴしゃだった。
しかも、デッカードってのは10年のことだよと書いてあって、花丸級の大正解だった。
だからって、何もないんだけど、花丸がうれしかったことを伝えたかった。
まぁ、デカローグって単語もあるので、デカは10の単位のことなんだろうね(まだ、言ってる)。
デカローグといえば、キシェロフスキのTVシリーズで「○○に関する短いフィルム」てのが10作あって、のちに映画化されて、日本でも公開された。
有名なのは「殺人に関する短いフィルム」と「愛に関する短いフィルム」
のふたつで、「愛に関する短いフィルム」はTV版と映画版では結末が違っていた。
僕個人の意見としては映画版のほうが好きだったな。
なんてことを考えていたら、伊坂氏もこの本の中でこの映画のことをちょっとだけ書いていた。
キシェロフスキは僕の大好きな監督で、トリコロール(3部作)も前作見たな。
ま、いーや。

さてさて、伊坂氏の3652なんだけど、これはエッセイ集。
エッセイ集は、すんなり読んで、ハイおしまいができるので、長文を読むのがしんどい時に手にする。
今回は、伊坂氏のエッセイなのでもうふわふわに読みやすいんだろうなと思ったら、ほぼそのとおり。
しかも、彼の好きな作家の話もあるので、メモして後で読むことにした。
でも、ただふわふわなだけではなくて、欄外に書かれた注釈を読むのがまた楽しくて、ページを行ったり来たりしながら読んだ。
書かれているのが短いエッセイなので、その感想を書いてると本文よりも長くなったりしても困るので、内容については何も書かないけれど、彼の人柄のよく出たエッセイだなと思った。
初めて読んだ彼の作品は忘れてしまったんだけど、彼の書いたあとがきがとてもよかった。
そこでは、その小説を書きあげるためにお世話になった人たちへのお礼を書いてるんだけど、素直な言葉で書かれていて、(自分がお礼を言われたわけでもないんだけど)うれしかった。
まじめな人なんだなぁと思った。
そうそう、書き始めた頃の小説(重力ピエロだったかな)に、ゴダールのことが書かれていたんだけど、自分にとってはゴダールってなにが面白いのか全然わかんない映画を作った人で、とにかく難解な作品を書く人だと思っていて、そのくせ丁寧なお礼のできる人。
作品の構成も、あっちこっちがリンクしていて、最後に綺麗に収まる。
一体どんな書き方をしているんだろうとそれを考えるのも楽しかったな。
以前は、SEとして働いていたというので、なんとなくわかったような感じもした。
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文房具を買いに(2):片岡義男 [Book]

時々、片岡義男の小説やエッセイを読む。
今読んでいるのは、「文房具を買いに」というエッセイで、そこには文房具のこと、その文房具の写真、その写真を撮影した時のことを書いている。
今は150ページまで読んだところなので、全185ページのこの本はもうすぐ読み終える事になる。
残りはあと少しなのに、早々とほんのことを書きはじめたのには理由がある。
片岡義男の小説やエッセイは大好きで、バイクに乗りはじめた頃から彼の小説は読んでいた。
今でも、この季節になるとバイクにまたがって南に向かって走りたくなるのはきっとその時のことを体が覚えているからだと思う。
もう少し書くと、今のこの梅雨という季節が好きになったのも、片岡義男のおかげだ。
とにかく、あの頃のバイク乗りはみんな片岡義男の世界でバイクに乗っていたんだと思う。
1980年代。
まだ、湾岸戦争は始まってなかったし、ドイツが東と西に分かれていた頃のことだ。
彼の小説には独特の文体があって、くどいほど「彼が」とか「彼女の」という主語が入ってくる。
その、ちょっと日本語では書かないような文体が気に入っていたのだが、実は彼のその文体には理由があることを、その後発売されたエッセイを読んで知った。

そして、今回の「文房具を買いに」を読んで、彼が相変わらず同じ理由に基づいて書いていたことを発見した。
少し長いけど、引用する。(角川文庫 文房具を買いに 149〜150ページ)
- 近代の終わりから現代にかけて、そして現代の全域で、アメリカに民主主義を確立させていくにあたって、市民の側でのもっとも強力な武器となったのは、タイプライターだった。憲法が保障する市民の自由は、市民みずからがそれを守る営みをとおしてのみ、自由として機能する。守る営みに対しては、自由を何らかの形で浸食することを図る敵が、常に想定される。国家を運営していくひとたちだ。その人たちを監視し、牽制し、制御しようとする市民にとって、武器は言葉しかない。自分たちの自由を浸食するかもしれない敵に向けて、監視や制御の言葉を放つにあたって、タイプタイラーはその言葉を相手側に届けるための武器となった。-
ちょっと前にメディアで耳にした「法の支配」のことを思い出した。

ネットでこの本のレビューを見ると、写真のことやテキストのことを書かれているばかりで、上記のもう一つの片岡義男について書かれたレビューは見かけなかったのが残念。


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本屋さんに行った [Book]

図書館や古本屋ばかりに行っていて、街の本屋さん(というか書店かなぁ、でかいから)にはとんとご無沙汰していたので、今日は隣の市まで出かけたついでに寄って見た。
以前来たときに較べると、商品点数が増えていて静かだった。
どうして静かなのかを考えると、店舗なら当然のBGMが流れてなくて、(図書館はさておき)よく行く古本屋だと音楽がガンガン流れていて騒がしい。
そうだよねぇ、本は静かなところにあるべきだよねぇと思いながら本を(買うつもりもなく)眺めていた。
不思議なんだけど、書店には古本屋や図書館で見る以上に興味を引くタイトルなんかがあって、例えばそれは「AI vs 教科書が読めない子どもたち」なんてタイトルで、サブタイトルは「人工知能はすでにMARCH合格レベル」とあって、まぁなんとも刺激的なタイトルだとは思うけど、冷静に考えると、やはりいつかはAIは人間の知能を超えるだろうなと思う。
サブタイトルにしても、(日本の)大学入試ってやぱ記憶力だもんなぁと思っているので、合格はたやすいかもしれない(だからあんまり驚かない)。
ここで問われているのは、知能という分野においてで、これまでに人間が持っていた知能以外の能力をすでに機械は上回っていて、それはおそらく産業革命の頃から始まったんじゃないだろうかと思う。
それで、開き直っているわけではないけれど、AIが人間の知能を上回ると何かまずいことでもあるのだろうかと考えて見ると、あんまり思いつかない。
もしかすると、本当に公平な社会が生まれるんじゃないだろうかとか、効率的な社会になって空いた時間を思いっきり非効率なことに当てられるようになるんじゃないだろうかとか考えている。
今人間がしている仕事なんて、結構パターンがあって、それに当てはめるだけで仕事ってだいたいのことはかたづくんじゃないかと思ってる。
なんてのかな、人間らしい判断というか、温かみのある判断てのも結局はトータル的に見ると効率的なので、そうしてるだけなのかもしれない(あるいはいい人を演じたいだけか?)。
てなことを、タイトル読みしただけで帰りの道中、AIのことを考えていた。
そんな読みたい本をたくさん見つけて、早速メモした。
最近、本を買うばっかりで全然読めてないんだよね。
溜めてる本を読んだら、本を買いに来よう。


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文房具を買いに:片岡義男 [Book]

カラフルな表紙に惹かれて、この本を買った。
最初に見つけた時はハードカバーだったけれど、今、手元にあるのは文庫本。
写真が多く含まれているのでハードカバーで楽しむのが正しいのだろうけど、タイトルにふさわしいのは文庫本のような気がする。
片岡さんは海外の小物や文房具の雰囲気をそのままに日本語で紹介をしてくれて、そのたびに僕はそのどれかを欲しくなる。
そうやって初めて手にしたのは、ブラウンの四角の小さな黒いトラベルウォッチだったと思う。
手のひらに収まりそうなサイズで、アラームがセットできる。
セットした時間になると、ジジジッと半分壊れたような音で時間がきたことを知らせてくれる。


さっそく買って来た本のページをめくる。
おもしろそうな文房具を見つけた。
それはリーガルパッドで、この黄色いメモ帳は記録を正式なものとして残す一段階前の状態のメモを残すためのもので、そのために「ここに書かれているものはまだ不完全なものですよ」という状態がわかるように黄色の紙が使われている。
この黄色の用紙に書かれたメモはやがて整理されて、白い用紙に移されていくことになる。
合理的な使い方だと思います。
そういえば、海外では筆記具のインクの色は青が多いけれど、これも筆記したものがあらかじめ印刷されている他のテキストの黒い色と区別ができるようにとするためだと聞いたことがある(ほんとかな?)。
色によって、そのものの立場をはっきりさせておくというのは良いアイディアだと思う。

リーガルパッドの使い方はネットで調べて知ったんだけど、意外なことに万年筆で使った感じを書いているページが多かった。
黄色の用紙にはブルーブラックのインクがはっきりしてわかりやすいとか、どこそこのリーガルパッドはペン先の滑りが良いとか、にじみやすいとか裏移りしやすいと書かれていて、もしかしたら自分がリーガルパッドに興味を持つのは一昨年に万年筆に興味を持った時から仕組まれていたのかもしれない。
人の行動って、多少はパターンが似てくるものなのかもしれないね。



片岡さんが紹介していたリーガルパッドはこれ


その他のリーガルパッドはこちら
見てるだけでけっこう楽しい
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オールド・テロリスト:村上 龍 [Book]

またやられちゃったなぁ。


表紙に騙されてしまった。


いや、騙される前も、騙されてからもおもしろいからいいんだけどさ。


ハードカーバーの表紙から感じたのは、飄々としたお年寄りが抜け目なくテロルを完遂させるお話かと思ってたら、もう全然。


なにしろ20ページが来る前にそれは突然始まって、その時には表紙と随分違うことに気がついて、「なるほどなぁ、こうして突然始まるのがテロルだよな」とミョーに納得してしまう。


主な登場人物はよろよろで初老と呼ばれる年齢に差し掛かった睡眠導入剤や安定剤を頬張るジャーナリストと、ちょと変わった女の子、それから、お年寄りばかり。


おそらく現代社会の中では、ちょとメインストリートから外れてる人たちばかりが、このお話を作っていく。


そう、IT業界のマツノ君が早々と退場するのは、そんなわけ。


ま、とにかく面白いのはラスト30ページくらいで、どんでん返しみたいなおもしろさではなくて、精神が高揚しちゃうおもしろさ。


それにしても、マツノ君はわざわざ退場するために登場するのがこの小説のよさで、年寄りを除くと男はダメダメなのに、女は切り開いて生きてくねぇ。


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