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文房具を買いに(2):片岡義男 [Book]

時々、片岡義男の小説やエッセイを読む。
今読んでいるのは、「文房具を買いに」というエッセイで、そこには文房具のこと、その文房具の写真、その写真を撮影した時のことを書いている。
今は150ページまで読んだところなので、全185ページのこの本はもうすぐ読み終える事になる。
残りはあと少しなのに、早々とほんのことを書きはじめたのには理由がある。
片岡義男の小説やエッセイは大好きで、バイクに乗りはじめた頃から彼の小説は読んでいた。
今でも、この季節になるとバイクにまたがって南に向かって走りたくなるのはきっとその時のことを体が覚えているからだと思う。
もう少し書くと、今のこの梅雨という季節が好きになったのも、片岡義男のおかげだ。
とにかく、あの頃のバイク乗りはみんな片岡義男の世界でバイクに乗っていたんだと思う。
1980年代。
まだ、湾岸戦争は始まってなかったし、ドイツが東と西に分かれていた頃のことだ。
彼の小説には独特の文体があって、くどいほど「彼が」とか「彼女の」という主語が入ってくる。
その、ちょっと日本語では書かないような文体が気に入っていたのだが、実は彼のその文体には理由があることを、その後発売されたエッセイを読んで知った。

そして、今回の「文房具を買いに」を読んで、彼が相変わらず同じ理由に基づいて書いていたことを発見した。
少し長いけど、引用する。(角川文庫 文房具を買いに 149〜150ページ)
- 近代の終わりから現代にかけて、そして現代の全域で、アメリカに民主主義を確立させていくにあたって、市民の側でのもっとも強力な武器となったのは、タイプライターだった。憲法が保障する市民の自由は、市民みずからがそれを守る営みをとおしてのみ、自由として機能する。守る営みに対しては、自由を何らかの形で浸食することを図る敵が、常に想定される。国家を運営していくひとたちだ。その人たちを監視し、牽制し、制御しようとする市民にとって、武器は言葉しかない。自分たちの自由を浸食するかもしれない敵に向けて、監視や制御の言葉を放つにあたって、タイプタイラーはその言葉を相手側に届けるための武器となった。-
ちょっと前にメディアで耳にした「法の支配」のことを思い出した。

ネットでこの本のレビューを見ると、写真のことやテキストのことを書かれているばかりで、上記のもう一つの片岡義男について書かれたレビューは見かけなかったのが残念。


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