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愚者と愚者/裸者と裸者:内海文三 [Book]

多分、表紙で損してる。
変わったタイトルだったので、これまでにも何度か手に取ったことがあるんだけど、そのままレジまで持って行かせる気にならなかった。
だって、文庫の表紙があんなだもん(他の作品で大藪春彦賞を受賞した著者の作品だとは思えない)。
それなのに、どうして1,500ページを超える4冊を読むことになったのか?
それは本当にたまたまちょっと前に読んだ「3652:伊坂幸太郎」に内海文三氏のことが書かれていたからで、伊坂氏は「もう少し評価があっても良い作家」と書いていたような気がしたからだ。
もっともそこで取り上げられていたのは「ぼくが愛したゴウスト」だったけれど。
で、気分によっては読んでて楽しい伊坂氏のことだから、きっと楽しいだろうなと何かの時に読むために内海氏の文庫を9冊ほど買ってみた。
あ、たまたまネットを見るとセットで売られてたので、「ぼくが愛したゴウスト」が含まれていることを確認して買っただけね、一つ一つ買い集めたわけではありません。
で、今回インフルエンザ A型に罹患して5日の出勤停止を受けたので、「愚者・裸者」を集中して読んでみた。
ちなみに肝心のインフルエンザは、一発治療のゾフルーザを飲んだら、すぐに治ってしまった(風邪よりも早く治るんじゃないのかな)。
そうはいっても、病み上がりで時々頭がボーとしながらの読書だったので、あまり正しくはこの「裸者・愚者」を読みきれてはいないはず。
物語の背景は関東首都圏で、残念ながら九州在住の自分には土地勘がないために、ゴロゴロ出てくる地名がピンとこない、登場人物は多いし、部隊の名前はたくさんありすぎてわけがわからない。
頭の中で固有名詞がグルングルンしてる状態ではあったけれど、それでも読み進めることができたのは、やはりマイノリティをメインに据えていることで、椿子の女の子の再定義なんて目が眩む。
「自分で女の子だと思えば女の子。それが女の子の定義だ」
はい、その通り。なにも言うことはないです。
目の前の人が女だろうが男だろうが、だからってそれで何かが変わるはずもなくて、目の前の人が女だったらどうで、男だったらこうだなんてのはないってこと。
だからって変わっちゃダメなんだよね。
なんてことを、考えながら読み進めてたら、1500ページが終わってた。
この作品にはもうひとつ「覇者と覇者」があって、それは残念ながら手元にはないので、近いうちにどこかで探してきて、読むつもり。
でもさ、この小説が書かれたのは10年も前なんだよね。
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