その柔らかい棘の中に何を隠しているのか? [..........]
車で通勤している。
自宅の駐車場から、道路に出るまでの間に一度だけ切り返しをする。
切り返しの時にちょど車のルーフくらいの高さに、まだ柔らかい棘を持った栗の実が車の正面に見える。
まだしっかりとした色もついていなくて、おそらく棘の中の実もないくらいのできたての栗。
これから秋に向かって、少しずつ色も濃くなり棘も人を寄せ付けないほどに固く尖っていくのだろう。
この栗の実を見つけたのは、もうひと月以上も前のことで、その頃にはすでに栗の枝は低く伸びて車のルーフを擦りそうになっていた。
休みの時にでも枝を切り落とそうと考えているうちに、まだ小さな栗の実が成っていることに気付き、ついつい枝を切り落とし損ねてしまった。
以来、毎朝車の切り返しをするたびに、少しずつ大きく成っていく栗を見ることになった。
Asahi DRY ZEROはドキドキしない [..........]
これまでの人生で僕がノンアルコールビールを飲んだ量は1リットルにも満たないと思う。
初めて飲んだ時には、なるほどビールの代わりにはなるなと思ったくらいで、今後もそれほど飲むことはないだろうと思っていた。
先日知り合いの法事に呼ばれた時に車で出かけた僕は久しぶりにノンアルコールビールを飲んだ。
以前飲んだ時よりもはるかにビールの味に近くて、場に浮かれていると(いや、まさか法事の席で浮かれることはないだろうけど)本物のビールを注がれてもわかんないかも知んないと、ちょっと緊張した。
しばらくノンアルコールビールで皆さんと会話を楽しんでいたんだけど、全然体が熱くならない。
いつも(つまり、アルコールの入ったビールを飲んだ状態)だと、体は熱くなって顔も火照ってくる頃なのに、いつもと変わらない。
おかげで、不快な感じもしないし、心臓もドキドキしないし、トイレにも行きたくないし、相手の話も冷静に聞けるし、もしかしたらノンアルコールビールって付き合いで飲むには最適かも。
その時に飲んでたのはAsahi DRY ZEROで、サイトの広告を見ると「キレUP!スッキリ感UP!」なんてことを書いていて、いかにもビールを意識したコピーなのが、アルコール入ってないくせになんだか変な感じ。
未成年者が飲むのも変な感じがするな。
で、自宅でも飲むのはこっちでいいかもと思ってるくらい。
ま、今んとこはカロリーゼロの三ツ矢サイダーなんだけどね。
重いものは自宅まで運んでくれるAmazonでポチると楽チンです
One of These Days. [..........]
その頃のJohnとPaulのイメージは、Paulの音楽は薬にも毒にもならない耳当たりの良いポップスで、ジョンの音楽はメッセージそのもので世界を変えることができる音楽てのが(ちょと赤面)、一般的だったと思う。
ところが、その映画の知り合いは「Paulの曲こそが音楽でJohnの曲を聴いているとなんだか頭が痛くなる(このあたりがね、とこめかみを指差し)、一体何がうれしいのやら(と肩をすくめ首をかしげかねない)」と言う。
そこまであからさまにJohnの曲をけなす人間は初めてだったので、ちょっと驚いて、でもよく考えてみると、たしかにそれは言えてる。
こっそりanother dayは好きだったし、Paulのアルバムを聴く方が多かったと思う。
YouTubeを聴いていると、PaulがWingsで活躍してた頃の曲を見つけて、その知り合いのことを思い出した。
その知り合いが言うように、やっぱりPaulはうまいなぁと思う。
一人でドライブをしている時に聴いたりしたら、うっすら微笑みそう。
Paulの曲に「Frozen Jap」と言う曲がある。
アルバムMcCartney IIに入っている。
この曲は、Paulの初めての日本ライブがPaulの大麻(だったかな)所持のために入国できずに幻の日本公演になってしまった、そのことを歌った曲だったんじゃなかったかな。
Frozenだし、Japだし、よっぽど嫌われてたみたいだ。
その後、Paulもよく日本に来るようになった。
良かった良かった。
そういえば、時々口からこぼれてしまう曲がPaulの曲だったことをYouTubeを見ながら思い出した。
ヤフオクで詐欺、解決までに半年 [..........]
その頃にはすでにseries3は発売されていて、まぁ興味がないこともなかったんだけど、自分の好みのケースはステンレスを希望で、だとするとセルラーモデルしかなくて、今のうちにseries2を買っとかないとなぁとちょっと慌てていた事もあった。
即決だったので、すぐに落札・決済をしたんだけど、......商品が届かない。
なんどか連絡をとるけど、返事は来ない。
こんなことは今回が初めてではないので、いつものように内容証明を出して、いつものように宛所不明で還付になって、いつものように警察に被害届を出して、いつものようにヤフーに補償の申請をした。
ところがいつものようにいかなかったのが、補償だった。
簡単に時系列で説明すると......
9/21:商品落札
9/22:商品発送の連絡
9/25:出品者のIDが「利用停止」、電話・メッセージ・連絡掲示板での連絡がつかなくなる
9/27:出品者へ「内容証明郵便」を発送
10/9:「内容証明郵便」が宛先不明で戻ってきたので、警察に被害届を提出、ヤフーに「被害報告」「お見舞い審査申請」を提出
10/24:ヤフーから「未着・未入金トラブルお見舞い制度の審査について」のメールを受け取る
11/6:ヤフーにお見舞い制度の申請に必要な書類を発送
12/14:申請に対して何も回答がないので、メールで回答を尋ねた
1/12:ヤフーから回答が届く「もうしばらくお待ちください」
3/20:ヤフーに再度、申請の結果を求めた
3/22:突然、被害額と同額のポイントがヤフーIDについていた
3/23:ヤフーより、お見舞い完了のメールが届いた
ま、こんな感じですね。
商品落札時が詐欺の発生時だとすると、ヤフーからお見舞いが
届くのはそれから半年後ということになります。
ちょっと時間かかりすぎですね。
このあたりは、メルカリの方がはるかにスムーズで手間もかからない。
不愉快な人間が多いのはメルカリだけど、トラブルに対してはほぼ数日中に解決をするので、安心して取引ができます。
ちなみに自分のヤフーのトラブルの発生率って0.8%くらいなのに対して、メルカリは3%くらい。
メルカリの方がトラブルは多いんだけど、事務局の回答が早いし、数日中に解決するので、結果的にメルカリを利用することが多くなった。
最近はヤフーも決済から入金までの流れが変わり、トラブルが起きにくくなっているみたい。
庭の掃除をした [..........]
葉っぱが散るのは秋だけではないようで、先日の強風で杉の葉が庭にたくさん散っていた。
休日はのんびりベッドの上でゴロゴロするのが好きなんだけど、何がどうしてそうなったのか長靴を履いて竹箒を持って庭に出た。
掃く音を聞くのも良いけれど、白いイヤフォンを耳に突っ込んで庭を掃除した。
ふと、どこか懐かしい曲だなと思ったら、それは中国語で歌われた「鉄腕アトム」だった。
僕は、それほど中国や韓国の人が嫌いではなくて、彼らの言葉を音として聞くのも好きで、もしかしたら韓国語はアジアで一番綺麗な音なんじゃないかと思う。
仕事先で聞いた若い女の子たちの中国語を聞くと、それはスズメが寄って来てちゅんちゅん言ってるみたいで、可愛くて楽しそうだった。
中国語が話せたらいいのにな。
善意消失 [..........]
どうしてだろうか善意ってのは、示しにくいもので、例えば、道端に誰かが倒れているとして、そんな人を見つけたなら真っ直ぐにその人に向かって歩めば良いものを、周りをキョロキョロして誰もが知らん顔をしているのがわかると、その人の元へ歩むのをやめてしまう。
よく考えてみれば、誰も助ける人がいないからこそ、その人の元へ向かわなければならないのに、思わず周りの人の顔色を見てしまう。
倒れている人の顔色はいったい誰が見るのだろう。
「火垂るの墓」で、いけないのは意地悪だと言われているおばさんでもなく、意地を張っている清太でもない。
二人の生活を見ていたにも関わらず手を差し伸べなかった周りの人たちで、そこに善意はなかった。
善意のない社会では、保護者のいない子供は半年と生きることはできない。
blogの下書き [..........]
いつでもどこでも記事を書いて、書いた記事はどの端末でも読めて編集できるのがいいなぁ。
そんなことを思いながら、ブログの下書きをするのに最初に選んだのはEvernoteだったんだけど、いつのまにかEvernoteフリー版は単体アプリで使える端末がふたつに限定されるようになってしまって、自分の場合は簡単なメモしか残さないので有料版にするほどのこともなくて、結局はEvernoteは使わなくなった。
Evernoteはレイアウトがごちゃごちゃしていて、あまり好きじゃなかったから、踏ん切りもついてよかったんだけど、困ったのは代わりのAppが見つからないことで、これはいいかもとiA Writterやら、Textwellなんかをインストールしてみたけれど、そこまで高機能なものはいらなくて、結局はmacOSについてきたメモにパシャパシャタイプしてる。
そういや、昔はテキストエディタにタイプしてたんだよなと、ふと思い出したりする。
使いたいアプリは持ってるデバイスのすべてでちゃんとSyncしていて、重くなくて、OSのアップデートの時にアップアップしなくてもいいようなものが好きで、簡単に言うと、高機能よりも簡単に取り扱えるものがいい。
要するに高機能なペンじゃなくて、そこにあるちびた鉛筆でも面白いものはかけるということ
青空とミサイル [..........]
今日のお昼は良い天気で、家の近くにある桜の木からは小さな花びらが散っている。
青い空を背景に花びらを散らす風もまた心地よい。
そんな空を見ながら、僕たちは戦争を経験することになるのかもしれないなとふと思った。
こうした青い空の下にもミサイルは落ちてくるのかもしれないのに、なぜだかミサイルが落ちてくるイメージは決まって曇り空で街は色をなくしている。
どうして青空の下ではミサイルは飛んでいないのだろう?
ネットでは、北朝鮮がミサイルを発射するとか、米軍が空爆を開始するだとか話をしているけれど、戦場がどこになるのかについての話はなくて、もし戦争が始まるにしてもそれはやはりどこか遠くで起きることのように感じる。
冷静に考えてみれば、先に攻撃を開始するのが北朝鮮にしろ、アメリカにしろ、戦場になるのは日本や韓国になるのかもしれなくて、いよいよ待ち望んだ普通の国に日本もなるのだなぁと思った。
ミサイルを飛ばしたり飛ばされたりするのが、普通の国になることだとしたら、普通の国になることの価値がどれほどあるのだろう?
中島京子氏の「小さいおうち」を読んだ。
ずいぶん前に朝日新聞に戦時下と言えども人々はそれまでと同じように生活を続けていくのだというような感想が書かれていて、一度読んでみたいと思っていた。
これまで思っていた戦時下とはかなり印象が違う。
そんな風に毎日の生活の中に戦争は染み込んでくるのだろうか?