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アメリカの有権者は健全なのかもしれない [..........]

今回のアメリカ大統領選は、各界の代表的な団体や個人が反トランプを掲げていたにも関わらず、彼は当選してしまう。
絶対にありえないようなことが起きてしまったのだが、いったいどうして彼は当選することができたのだろうか?
選挙期間中は呆れるくらいの言いたい放題で、彼に対する批判が個人的な資質に対して行われたのに対し、クリントンへの批判は政治家としての資質に対して行われた。
大統領を選ぶ際にどちらの資質を重視するかと考えると、政治的な資質の欠如が致命的なことに対し、人間的な資質の欠如はそのまま政治家としての資質の欠如ではない。
つまり、政治家としての資質に欠けるクリントンよりも(人間的な資質には欠ける)トランプ氏の政治家としての未知数の資質に賭けたという感じだろうか?
キャリアについて言えば、彼は政治家としてのキャリアもなければ軍人としてのキャリアもない。
そんな人間がある日、アメリカの大統領になる。
それを「one night success」とか「American Dream」というのは、まちがった表現だろうか?

もう一度書くが、各界の代表的な団体や個人が反トランプを掲げていたにも関わらず彼は当選してしまう。
それはつまり、各界の代表的な意見や言葉に従うのではなく、有権者一人ひとりが自分の考えに基づいて彼を選んだということであり、きわめて民主主義的な事件だったのかもしれない。
トランプ氏の大統領としての資質には不安も感じることも多いが、彼を選んだアメリカの有権者の政治への関心、自国を思うための判断基準を決して他には任せないという自立した判断は健全だと思う。
(だからこそ、自分の安全を他人任せにしない彼らに銃規制はむずかしいのだが。だから、たとえば銃規制にもっとも反対するのが黒人だとしても驚かないけどね)

ナチス政権はワイマール憲法下で生まれたが、健全な民主主義の下で生まれるのはどんな政治だろうか?

ところで、彼を見てるとエリツィン大統領を思い出すんだけど、そんな人はいませんか?

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世界に向かって紙飛行機を投げた [..........]

PaperPlanesというAppをダウンロードして、紙飛行機を世界に投げた。
世界のあちこちを飛んでいるあなたや僕が投げた紙飛行機は世界のどこかの誰かが網を振り回してキャッチする。
そして、スタンプを押す。
スタンプをひとつ増やした紙飛行機は、再び世界へ向かって投げられる。
そうやって、あなたがスタンプを押した僕の紙飛行機は、どこでキャッチされたのか、その軌跡を追っていくことができる。
軌跡を見ては、空を眺める。
世界のあちこちで生活をする人たちの姿を想像する。

PaperPlanes.jpg
僕の作った紙飛行機が世界を回り始めて1週間。
最初にロシアのだれかにキャッチされて、その後はオセアニア、ヨーロッパ、南米のスタンプが続く。

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新しい時計・オーバーホール・中古のApple Watch [..........]

春に就職をした甥が、こないだ帰って来た。
久しぶり見ない間にすっかり大人な顔つきになっていて、おじさんとしては以前のかわいい甥の方が好みなんだけど、それはまぁしかたない。
というわけで、(すでにかわいくなくなったけど)かわいい甥のために、腕時計をプレゼントすることにした。
amazonで探すと、驚いたことにセイコーのクロノグラフがものすごく安い(ピンキリではあるけれど)。
なんかまちがってんじゃないの?とレビューを見るけど、すでに買われた皆さんもその安さに驚いているご様子で、かといって不具合もなくお気に入りの星4.5。



クロノグラフは高校生の時に友達が持っているのを見て、とにかくものすごく羨ましかったことがある。
で、いつかは僕もクロノグラフを買おうと決めて、それから10年後にオメガ スピードマスターを買った。
クロノグラフに至るまでには、ダイバーズウォッチやミッキーのディジタル、怪しげなスイスアーミーウォッチ、タラスブルバ(アシックスのアウトドア用ブランド、ムーブメントはシチズンで今はもうない)のアウトドアウォッチを取っ替え引っ替え使ってた。
さて、憧れのクロノグラフ、しかもスピードマスターを手にしたのはいいけれど、困ったことにその時計を活かす場所がない。
ふっつーの会社員に20/100秒の世界はまず不要、もちろん、大気圏のあちら側に呼ばれるような仕事が来るはずもない。
しかも、重い、なおかつ、かさばる。
手巻きなので油断していると、いつまでも同じ時間を指している。
ちゃんとネジを巻いても、(それまで使っていたクォーツに比べると)狂う。
おまけにアクリルの風防は傷が入りまくり。
いったい、なにがうれしくてこんな使えない時計を買ってしまったのか?
もう完全に趣味の時計で、憧れで買ったはずなのにそこに実用的なものを求めた僕が、きっと悪い。
重くてでかいのであちこちにぶつけるのでアクリル風防はすぐに傷だらけになってしまって、傷と書いて愛着と読めば良いのだろうか?

甥のクロノグラフが届いた日に、改めて自分の持っている時計を机に並べてみた。
iPhoneを持つようになってから、腕時計は一切使っていなくて、机の上に並んだ腕時計は、一様に止まっている。
スピードマスターとユンハンスだけは手巻きなので、ネジを巻いたら動き出したが、他のクォーツは沈黙している。
なるほどね、スピードマスターが月に行けるわけだ。
ネジさえ巻いておけば、(自動巻に影響を与える)無重力だろうが、(電気が流れにくくなる)低温だろうが、ちゃんと時を刻む。
スピードマスター以後に買った時計もある。
ハミルトン カーキ クルーとサブ。
ハミルトンは、まぁB級と言われることも多いけれど、僕はけっこう好きだ。
今でも、ハミルトンの時計を見ていると、欲しくなる。
カーキ クルーは多少は荒っぽく扱って傷が入っても後悔しないようにと買ったもので、遠慮なく扱った結果、アクリルの風防は傷だらけだ。
アイボリーの文字盤と碇のマークがお気に入り。
カーキ サブは、こちらもアイボリーの文字盤がお好みで防水も330ft。
おそらくモデルとしてはかなり古いもののような気がする。
オークションで手に入れた。

並んだ時計を見ていたら、もう一度腕時計をしたくなってきた。
じつは、Apple Watchが発売になった時に、腕時計をしたくなったのだが、今回の腕時計の購入が決定的にしたみたいだ。

とりあえず、カーキ クルーとセイコーのダイバーズウォッチを使おうかと思う。

ダイバーズウォッチは、バイクに乗っていた頃に使っていた時計で雨の日のツーリングも安心して腕にすることができた。
視認性も高かった。
ベゼルを利用すれば(大まかではあるけれど)時間の計測もできた。
ずいぶんほったらかしにしていたので、オーバーホールもしてもらうつもり。
ネットを見ると、オーバーホールをする金額で新しく同じ程度の時計が買えてしまいそうだが、いろいろと思い出もある時計なので、復活させたい。
腕時計ってのは、時計そのものよりも、その時計をしていた時の思い出がその価値を作るみたいだ。

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貢献できない人 [..........]

うちの近くに住むおばあちゃんが、隣組から抜けたいという。
月々の心細い年金では、隣組の会費を払うのは大変だし、なにしろお世話になるばかりで心苦しいのだという。
そんなことないのになぁと思う。
そのおばあちゃんは、そこに長いこと住んでいて(自分が知っていた時にはすでにそこに住んでいた)、たぶん僕なんかよりも町内会歴は長い。
僕はこの町内会にいるだけで、仕事にかまけて、地域の掃除にも河川清掃にもほとんど出たことはない。
役員が回ってきたときだって、帰りが遅くなるのでとかなんとか仕事を口実に役から逃げてきた。
今日みたいに回覧板を持っていくくらいで、夏のお祭り(や、その準備)にも出かけたことはないし、この町内の人たちのために何かをしたことはない。
おばあちゃんは町内会の役員さんはできないし、お祭りの準備だって(たぶんお得意の)炊き出しもお弁当屋さんに仕事を取られていて、出る幕はない。
でも、小さなちりとりを持って道に落ちたゴミを拾ったり、石垣の草を抜いたりしている。
道で会うと、僕なんかにもちゃんと挨拶してくれる。
たぶんね、そんなことを何十年も続けてるんだから、もうさ、十分貯金はあるんじゃないかと思うんだよね。
これからは、お世話になるばかりでいいと思うんだよね。
隣の隣組の火事の時には、「ご苦労様です」って消防団の人たちにおにぎりを持って行ったのを知ってるよ。
「少なくて申し訳ないんだけどね」て、頭を下げてたでしょ。
おばあちゃんが頭をさげることないのにね。

なんだかさ、最近はやたらに「貢献」「貢献」て言われてて、国や会社に「貢献」できない人は、役立たずみたいに言われてる。
それもはっきりと形にしたり、数字にしなければダメみたいで、たとえば、そのおばあちゃんのような家の近くをきれいにしてるとか、他のがんばってる人のためにちょっと手助けしたりする人は、その時には感謝されてもすぐに忘れられてるみたい。
それでね、そうやって忘れられやすい人が、もう自分はみなさんの足手まといにしかなれないからと町内会から出ようとしている。
この隣組の道にゴミが落ちてないとしたら、それはゴミを捨てる人がいないからじゃなくて、おばあちゃんみたいにゴミを拾う人がいるからなんだよね。
なんとかならないのかなぁ。
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夏の朝 [..........]

今日は祝日で、そのくせ朝早くから目が覚めたのは平日のつもりの目覚まし時計がいつものように仕事をしたからで、僕としてはちょっと残念な気もするけれど、よいしょと窓を開けると、蝉の鳴き声がやかましい。
風もまだ涼しいもんだから、蝉もそれを喜んでいるのか、いつもなら暑苦しい鳴き声も少し涼しい気もする。
もう少し時間が過ぎると、地面に映る影はどんどん小さくなって、その代わりに蝉も元々からの仕事を思い出すのか、鳴き声も熱を帯びてくる。
今日も暑い一日になりそうです。
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アメリカで黒人が警官に射殺された [..........]

それを、恋人が動画に撮影していて、動画サイトにアップされた。
撮影を始めた時には、おそらくその恋人にしても目の前で彼が射殺されるなんてことは思いもしなかっただろう。

最近は、いろんな事件が誰かの撮影した動画によって残されることが多い。
20年以上前に「ハゲワシと少女」という写真がピューリッツァー賞を受賞したことがある。
1993年スーダンの食糧配給所の近くでうずくまった少女をワゲワシが狙うというショッキングな写真がピューリッツァー賞を受賞するのだが、この写真を撮影したカメラマンは受賞後に写真を撮る前に少女を助けるべきではなかったかと非難を浴びることになり、授賞式からわずか2ヶ月後に自殺してしまう。

Youtubeをはじめとする動画投稿サイトにはショッキングな動画が投稿されることが多い。
TV局も自局に投稿できるようなAppを配信し視聴者からの動画を募集していたりする。
こんな時代にいる僕たちは、今、目の前でうずくまった少女をハゲワシが狙っているとしたら、はたして僕たちは動画を撮るべきなんだろうか?
それとも、撮影するチャンスを諦めてハゲワシを追い払うべきなんだろうか?
あるいは、目の前で黒人(でなくてもいいけど、誰か)がより力のあるものから一方的に暴力を受けようとしていたら、僕たちは録画のボタンを押すべきなんだろうか?それとも、暴力を振るおうとしている者を止めるなり誰かに助けを求めるなりして、それを止めるべきなんだろうか?
もちろん、カメラを向けることが暴力を止めることもあるだろうし、あるいは、暴力がカメラマンに向かうかもしれないが、それは起こりうることかもしれなくて、確実に起きることではないので、目の前で今まさに起きようとしている暴力に対して、僕たちは直接、暴力を止める行動を取らなければならない(むずかしいけれど)。
動画投稿サイトを見ていて不安になるのは、より多くの人に見てもらおうとするあまり、より過激なシーンを撮ろうと、暴力を撮影するが為に暴力を振るい動画を撮影するようになるのではないかと思うのだ。
そうなった場合には、カメラは暴力を抑制することはできず、増長させることになる。

もし、暴力に対し動画が公開された時は、僕たちはその動画が撮影したことを激しく非難するべきではないだろうか?
目の前で暴力が振るわれようとした時には、カメラマンである前に一人の人間であるべきだと思う。
そして、他にいる誰かが暴力を止めようとした人間を撮影すればいい。
暴力を振るおうとする人間ではなく、暴力を止めようとする人間を撮影するべきなのだ。
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霊魂さえあればなぁ [..........]

部屋の机の上にはMac miniとモニタが揃っているというのに、僕がこのテキストをタイプしているのは、キッチンのテーブルの上だ。
家族の誰かが食べずに置いている焼き芋やTVのリモコンなんかが乗っかったキッチンのテーブル。
そこにApple wireless KeyboardとiPhone 6を持ってきてこの記事を書いている。
フライにされたソラマメとアサヒのスーパードライがお供。
iPhoneに接続したヘッドフォンからはタイトルも知らない曲(多分ハワイアン)がシャッフルされて聞こえてくる。
外はちょっと強めの雨が降っていて、ハワイの音楽の隙間から窓を打つ雨の音が聞こえてくる。

キッチンのテーブル。
キーボード。
iPhone。
ソラマメ。
ビール。
ハワイアンミュージック。
雨の音。

こんな状況は混乱しているというんだろうか?
そんな状況なのに、僕の気持ちは落ち着いている。
お風呂から出たばかりだからだろうか?

この1週間は人の死に出会うことが多かった。
始まりはかつての同僚の失踪の挙句の自殺の話。
失踪して3ヶ月後に車の中で白骨化した姿で発見されたという。
僕がその仕事を辞めた前後から、職場は荒れていてうつを発症する者、させる者がいて、気が滅入るのはそのどちらもがかつての同僚で、なんともやるせない。
する者もさせる者もかつては同じ酒を飲んでいたというのにな。
あの時に仕事を辞めずにいたとしたら、僕はどちらの立場に立っていただろうか?
そんなことをうつらうつら考えていたら、遠縁にあたる叔母が亡くなった。
半年後に100歳になるはずだった彼女は、静かに息を引き取ったという。
とても無口な人で、彼女とどんな話をしたのかさっぱり記憶にない。
だからか、彼女の印象はどんなことを考えている人なのかわからないということで、通夜見舞いから彼女の骨を拾うまでの数日間はそのことばかりを考えていた。
彼女を知っているという人の話を聞いても、やはり挨拶程度の話ししかしたことがないという。
まるで静かにしていることで彼女は自分の存在を示していたような気さえする。
影が影であるように。

どんな形であれ、人は死ぬんだなぁ。
僕が死んだあとに生まれてきた人も、いずれは死んでしまうんだろうな。
霊魂があればいいのに、と時々思う。
そうしたら、霊魂だけになった僕はかつての誤解を解き、かつてはできなかった話を霊魂だけになったかつての知り合いとするのに。
その時にできなかったことをしてあげられるのに。
なんだかさ、霊魂だけになった僕たちはもっともっと仲良くなれそうな気がする。

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個人情報が(また)流出したらしい [..........]

先日、台所に立っていると居間のTVから個人情報が流出したらしいというニュースが聞こえた。
やれやれ、またかよ。
半年に一度はそんなニュースを聞く僕の怒りはもうすっかり慣れてしまって、怒ることさえしない(というか、怒ったからってどーすりゃいいのさ?)。
今さらどこそこが流出させたかなんてことはどーでもよくて、なにしろ一旦流出してしまった個人情報は、(文字通り)もう取り返しがつかない。
僕の情報がJTBにあるとは思わないけど、もしかしたら、(今のように個人情報をディジタルで管理するよりも)ずっと前に行った会社の旅行でJTBを利用したかもしれなくて、JTBとしてはそんな個人情報は大きな財産だろうから、きっとディジタル化しちゃってんだろうなと考えると、今回(も)僕の情報は流出しちゃったかもしれない。
で、こうして情報が流出した後には「悪用された形跡はありません」なんてことをおまけのように付け足してくれるんだけど、どんな形で悪用されるのか知らないので、とりあえずは形跡云々の前に「どんな形で悪用されますよ」くらいはアナウンスしてくれてもいーんじゃないの?。
どんな悪用の方法があるのかも知らないのに、形跡も何もあったもんじゃない。
それにさ、どうしてJTBに悪用された形跡の有無がわかるんだろう?
流出した情報は僕の情報で、被害を受けるのは僕であってJTBじゃないんだよ。
僕が被害を受けたかどうかがJTBにわかるわけないんだし、そもそもそれがわかるって問題じゃないのかな?
もちろん、悪用されたことがはっきりしたとしても、悪用された情報が今回のJTBから流出されたものか、年金機構が流出させたものなのかわからない(もしかしたら、流出させたことに気がつかない組織から流出されたものかもしれないしね)。
なにしろ僕のプロフィールはひとつしかないんだしね。
誰が流出させたのかもわからないのに、悪用されたことがわかったからって、その責任を誰に求めればいんだろうね。

だからね、もう個人情報が流出したからって、怒るのはやめよう。
どうせ、僕たちは泣き寝入りするしかないんだよ。
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それは「展覧会の絵」から始まった [..........]

「展覧会の絵」はラヴェル版やオリジナルのピアノ版よりも早く、彼らの演奏で耳にした。
自分の意思でクラシックを聴き始めたのは、おそらくその時からで、もし彼らの「展覧会の絵」を聴くことがなかったら、(決して豊かだとは言い難い)僕の音楽生活はもっと貧相なものになっていただろう。
iPhoneにも彼らのアルバムは何枚か入っていて、シャッフルされて出てきた彼らの曲を聴くと、無性に彼らの曲を聴きたくなって、その夜はYouTubeで彼らの曲をコピーしたファンの演奏を聞く。

ここしばらくは、たまに耳にしたからという理由以外でYouTubeなどで彼らの曲を聴く人は多いだろう。

キース、安らかに
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What wolud you do ?:あなたならどうする? [..........]

先日、ヒマにまかせてYouTubeを見ていたら、偶然WWYD(What would you do ?:あなたならどうする?)というアメリカ ABCの番組を見つけた。
内容は、目の前で理不尽な扱いを受けている人がいたらその場に居合わせた人はどうするかという番組で、あらかじめ番組側で理不尽な扱いを受ける人と理不尽な扱いをする人を用意して、その状況に対して第三者がどう対応するかを陰から撮影する。
テーマは様々でカラードや、身障者、シングルマザー、低所得者(政府の食料補助対策の対象者)、ゲイなどに対する差別がある。
見ていて、驚いたのが全然知らない人に対しても、積極的に関わっていこうとするアメリカ人の姿で、たとえばホームレスに対して若者が暴力を振るっていると、道路の向こうからおばさんが「あんたたちなにやってんのよ。やめなさい!」と道路を横切ってやってくる。
おばさんまで一緒にやられちゃうんじゃないかとこちらが心配してしまうほどで、ごく普通の人たちがそんな理不尽なことに対して立ち向かおうとする。
あるいは、発話障害の女性がアイスクリームショップのカウンターでオーダーしようとしている。
うまく話せなくて、彼女の後ろには長い行列ができている。
彼女に対して、ひどい言葉でからかう客がいる。
そんなからかう客に対してそんなことするのはよしなさいと非難する客もいる。
でも、自分がもっとも驚いてしまうのはからかうのはよしなさいと非難する客も決して発話障害のある彼女の代わりにオーダーしようとはしないことだ。
あくまでも発話障害のある彼女のオーダーが終わるのを待っている。
この対応の仕方は多分日本では見られないんじゃないかと思う。
うまく言えないんだけど、彼女の欲しいものは彼女がオーダーすることが自立した人間として当たり前じゃないか、(発話障害があっても)一人の人間として尊厳を守ろうとしているように見える。
もちろん、すべての人がそんなわけではないんだけど、そんな人たちがいるということがわかっただけでも、なんだかうれしくなってしまう。
でも、積極的に関わろうとする彼らを見ていると、他国に介入しようとするアメリカが見えてしまう。
彼らの正義感で関わった結果、状況をまずくしてる気もする(もっとも、他国への介入には国益も絡んでくるわけなので、個人の場合と単純に比較もできないんだけどね)。
どうなんだろうか?
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